村山市議会 2020-12-04 12月04日-04号
さて、原爆の投下、そして敗戦から今年で75年目を迎えました。戦争を経験した先輩方が高齢化し、どんどん去っていかれる中で、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えていくことが困難になってきています。そういう中で平和都市宣言を行っている村山市の果たすべき役割は、ますます重要になってきているのではないでしょうか。この点についてご所見を伺います。 次に、核兵器禁止条約の発効について質問します。
さて、原爆の投下、そして敗戦から今年で75年目を迎えました。戦争を経験した先輩方が高齢化し、どんどん去っていかれる中で、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えていくことが困難になってきています。そういう中で平和都市宣言を行っている村山市の果たすべき役割は、ますます重要になってきているのではないでしょうか。この点についてご所見を伺います。 次に、核兵器禁止条約の発効について質問します。
また、平成27年から現在も継続して行っておりますのは、市民の皆さんが平和の願いを込めて作ってくださった千羽鶴を原爆被爆地の広島と長崎へ送り届けており、今年寄せられた千羽鶴は過去最多の約4万2,000羽となっております。 そのほかにも、少年の翼交流事業や八幡青少年国内交流事業で、市内の子供たちが沖縄を訪れ、ひめゆりの塔やひめゆり平和祈念資料館などを訪問しております。
そうした意味において、天童平和をつたえる会の皆様には、今年も市立図書館をメーン会場として原爆写真展を開催いただくなど、長年にわたり、本市の非核平和都市推進事業を継続していただいております。
また、最近のことでは、山辺町立作谷沢中学校の少年・少女の声が掲載されている欄では、ミサコの被爆ピアノと呼ばれるピアノの演奏や校長先生からの原爆や戦争のことでの平和の大切さに関しての話をされたとあり、生徒たちは平和の維持には過去の失敗を覚えておくことが大切であるといった内容が掲載されておりました。このミサコの被爆ピアノは、世界に10台しかない貴重なものであります。
そして、長年にわたり、原爆写真展など平和を伝える運動に取り組み、核兵器のない世界の実現を望んでいます。 日本政府は核保有国と非核保有国の間の橋渡しをしながら実現していくんだという話もありましたが、これまでどのような努力をされたのか、目に見えない、まして核兵器禁止条約が出た後の態度といえば、批判こそあれ、賛同が得られていないのが現実であります。
原爆投下から72年、国連で核兵器を人類史上初めて違法化し、悪の烙印を押す核兵器禁止条約が採択されました。我が国は唯一の核被爆国として、核兵器の廃絶を訴えなければならないと宣言する村山市の議会として、条約への署名と批准を求める本請願に反対する理由を見出すことはできないはずであります。 総務文教常任委員会で発言なされた議員は、誰もが核兵器がなくなることを願っているとおっしゃいました。
ことしの原爆の日では、広島市・長崎市の市長がそれぞれの挨拶の中で、日本政府に条約への賛同を求めるなど、被爆国の首長として与えられた機会を通じて核兵器廃絶へ大きく飛躍する力となる条約参加を訴えています。 山形市は、広島市、長崎市と同じ日本非核宣言自治体協議会と平和首長会議に加盟しています。
ただ、残念なことにこのローズドーム、ちょっと定かでないんですが、平成10年あたりにつくられたということで、それから20年たっているわけですが、つるバラ、途中までしかなっていなくて、あそこにバラが咲けばすごくきれいだなと思うんですが、今の状態は広島の原爆ドームみたいになっております。観光客から見るとちょっと寂しいかなと思います。
1945年8月、広島と長崎に原爆が投下されて以降、広島、長崎両市は、核兵器の非人道性を訴え、核兵器の廃絶を一貫して求めてまいりました。
山形市や天童市などでは、平和事業として実行委員会を立ち上げ、原爆展、平和コンサートなどを開催されています。旧余目時代に、中央公民館小ホールで原爆展が開催されたと伺っております。 また、本町では、平和活動に携わる個人や団体の育成・支援はどう考えているのか、お伺いいたします。 次に、子育て支援についてであります。
広島、長崎への原爆投下から72年、核兵器のない世界の実現に大きな一歩を踏み出す歴史の転機を迎えています。広島で被爆したサーロー節子さんが、国連会議で「この日を70年以上待ち続けていました」と声を詰まらせた姿は、場内に大きな共感と感動を広げました。 この核兵器禁止条約の最も画期的な点は、核兵器を歴史上初めて条約によって違法化したことにあります。
市町村合併を控えまして、平成16年度からは、市単独の主催で戦争と平和の資料展を毎年夏に開催いたしまして、市民の方からお借りした軍服や水筒、千人針や鉢巻きなどの資料展示のほか、広島、長崎の原爆投下後の記録映像を内容としたDVDの放映、こういったことも行っているところでございます。
一命を取りとめても皮膚がめくれ、垂れ下がり、ひどいやけどを負ったことなど、直接の原爆被害者は三十数万人にも及び、この生涯脳裏から離れることのない地獄絵図のような状況を記し、現在も小中高の学校現場で語り継ぐ活動をされているところです。
日本では、古都京都の文化財、同じく奈良の文化財、広島の原爆ドーム、それから、富岡製糸場等々がございます。世界遺産は、文化遺産、自然遺産合わせて20というふうなことになっております。 次に、山形県は最上川の世界遺産を取り下げた経緯があるが、最上川という地の利を生かしまして、今後、酒田市が主になって世界遺産に向けて発信していく必要があるのではないかと、市の所見についての御質問がございました。
本市としましても、非核平和の考えを後世に伝えていくことは重要なことであると考えておりますので、本市非核平和都市推進事業として、原爆写真展や絵本の読み聞かせ等の平和活動を行う市民団体の活動に支援をしているところであります。 また、本年度からその事業期間に合わせまして、市庁舎に非核平和都市宣言をアピールする懸垂幕を掲げているところであります。
これは、核兵器のない世界を求める世界の平和運動の力であり、唯一の被爆国日本の被爆者を先頭に、当初から一貫して広島、長崎の実相を訴え、核兵器の非人道性、残虐性を告発し、各地で原爆展などに取り組んできた市民運動の力でもあります。 本市においては、昭和38年に連邦平和都市宣言を行い、平成12年には非核平和都市宣言が制定されました。
1点目の政治姿勢についてでありますが、今国会で議論が交わされている安全保障関連法案についてでありますが、これについては国のことでありますので、基本的にこの場で私が申し上げることは差し控えたい部分があるわけでありますが、今、戦後70年という節目の年を向かえながら、そして広島・長崎といった原爆を投下された唯一の国であるといったこと、そして世界中で先の大戦は不幸な争いがあったということだけは事実であります
平和であることのありがたさをいま一度考えるべきであり、庄内町は非核平和都市宣言を提唱している町でもあり、戦後70年の歴史を考えるときに、広島や長崎の原爆写真展が教育委員会主催で催したことがあったと聞いております。このような催しなどを開催すべきであります。 次に、消防団運営交付金の支出は、消防団が特別職とはいっても町からの交付金であり、交付要綱を作成した上で交付すべきであります。
そして、それについていろいろ原爆の記念日のときに安倍首相が広島・長崎に乗り込んだわけですけれども、広島で被曝者の代表は、これはいわゆる碑文にある二度と過ちを起こしませぬからという碑文に逆行するものだと。そして長崎では、日本国憲法を踏みにじる暴挙だと、このように被曝者の方も強く反対を言っております。
それらを受け、山形市では恒久平和を願う千年和鐘打鐘式を毎年8月6日広島原爆の日、8月9日長崎原爆の日、そして8月15日終戦記念日に市民の皆様と平和への祈りを込めて鐘をつき、戦争で犠牲になられた方々の御冥福をお祈りいたしております。 これらは平和都市宣言を行った山形市民として、世界の恒久平和を願い希求する機会としているところであります。